
未来の世界の~
ジャイアンツの王さんとドラえもん
9月3日。この日付を聞いてピンとくる人はどれくらいいるでしょうか?
実は、日本のスポーツ史とポップカルチャーの歴史をつなぐ、驚くべき偶然が隠されています。
- 1977年9月3日:王貞治、通算756号本塁打で世界記録を達成!
- 2112年9月3日:国民的キャラクター「ドラえもん」の誕生日!
135年の時間を経たこの偶然を深掘りすると、おおげさにいえば日本の文化と歴史を象徴するような、不思議なつながりが見えてきます。
1977年9月3日:王貞治、世界記録の756号本塁打!
1977年9月3日、東京・後楽園球場。巨人の王貞治選手が、ヤクルトの鈴木康二朗投手から放った一振りが、世界の歴史を塗り替えました。
これが、通算756号本塁打。アメリカのレジェンド、ハンク・アーロンの記録(755本)を超え、当時の世界最多本塁打記録を達成した瞬間でした。
現代では大谷翔平選手をはじめメジャーリーグ(MLB)で日本人選手が大活躍する時代になりましたが、当時、日本プロ野球界で「世界記録」を達成するなんて、どれだけすごいことでしょう。王選手がこの日達成したのは、ベーブ・ルース(714本)やハンク・アーロン(755本)を超える「世界記録」だったのです。
この一打に、日本中が熱狂しました。
- 記録達成前から新聞・テレビニュースで大々的に報じられることで、盛り上がりが過熱して社会現象に。
- 王選手を祝福する新聞・雑誌の特集、テレビの特別番組が組まれる大フィーバー。
- さらには、この偉業を称え、9月3日が「王貞治756号本塁打の日」として記念日になったほどです。
王貞治という日本のスポーツ史上のレジェンドが、新たな歴史を刻んだ日。それが9月3日でした。
2112年9月3日:未来の世界でドラえもん誕生
それから135年後の未来、2112年9月3日。この日は、日本中の誰もが知る国民的キャラクター、22世紀の猫型ロボット、ドラえもんの誕生日として知られています。
「ドラえもん」は1970年に藤子・F・不二雄先生によって生み出され、1979年からテレビアニメがスタート。そこから現在に至るまで、長く愛され続けている作品です。
しかし、興味深いのはドラえもんの誕生日「2112年9月3日」は、いつ・どのように決まったのか?という点です。
- 原作漫画(1970年開始)では、初期の設定には明確な誕生日はなかった。
- 1979年にテレビアニメ(テレビ朝日版)がスタートした後、公式に「2112年9月3日」と決められたとされる。
- つまり、王貞治選手の756号本塁打達成(1977年9月3日)の後に、この日が設定された可能性もある!
もしかすると、藤子・F・不二雄先生の考えで、子どもたちも大好きな王選手の偉大な記録が達成された日にドラえもんの誕生日を合わせたということもあるかもしれません。あるいは、まったく違う理由で9月3日になったのかもしれません。
しかし、これがもし偶然の一致だとしたら、運命的な巡り合わせですね。
9月3日という“特別な日”がつなぐもの
考えてみれば、「王貞治」と「ドラえもん」は、子どもと大人の区別なく日本人にとって特別な存在です。
- 王貞治は、日本のスポーツ史において不滅の記録を打ち立てたレジェンド。
- ドラえもんは、日本のアニメ・漫画文化を象徴する国民的キャラクター。
そんな二人をつなぐ9月3日にという日付。もしかすると、未来の日本では「9月3日」は、“スポーツの偉業と未来の夢をつなぐ日”として特別な意味を持つ日になるかもしれませんね。